ブローバとは

アメリカン・イノベーション。

創業地アメリカが繁栄の黄金期を迎えた19世紀後半から、ブローバは革新的な存在であり続けていました。
ボヘミア(現在のチェコ)からの移民としてアメリカに渡り、1875年に自らの店舗を開業した創業者ジョセフ・ブローバは、リスクを恐れずに挑戦する向上心と、時代を先取りするセンスを持ち合わせた人物でした。熟練の技術者であるとともに発明家でもあった彼は、宝石や自転車にまつわる各種特許を取得したほどで、優れたアイデアや情熱は時計の世界でも活かされました。

量より品質、生産より完璧性

そうした創業者のモットーは1912年に設立した時計工場の理念とされ、生産の規格化を徹底。手の届きやすい時計製品を高い水準で提供することで、ブローバは瞬く間にアメリカの大手時計メーカーへと成長していきます。

伝統的な時計製造技術に敬意を払いつつ、押し寄せる先進テクノロジーにも注意を払っていたブローバは、いち早く電子技術の応用にも着手。振動数が安定する音叉に着目し、1960年に世界初の音叉式時計「アキュトロン」を発売します。従来の時計に不可欠だったテンプを省略し、かつ圧倒的な精度を実現した「アキュトロン」は、人類の時計史を振り返る際に欠かせないエポックメイキングなモデルとして知られています。 2010年にはハイパフォーマンスクォーツを搭載した「プレシジョニスト」を、2016年にはムーブメントごと全体がカーブしたクロノグラフ「カーブ」を発表。いずれも世界初の試みであり、ブローバの革新性を物語る鍵です。

ブローバの革新は、時計以外にも波及しています。
1926年には大西洋無着陸横断に懸賞を掛け、翌年にチャールズ・A・リンドバーグが成功するきっかけのひとつとなりました。誕生したばかりのアメリカン航空の公式時計にも採用。人類の開拓精神が詰まった宇宙開発事業にも協力し、ブローバはNASAで行われた46回の宇宙飛行でも採用されました。
また、1926年からは時計メーカーとしてアメリカ初のラジオ広告を、1941年からは世界初のテレビコマーシャルを実施。有名な週刊誌にカラーの見開き広告も出稿するなど、ブローバはマーケティングの分野でも先進的な取り組みを行い、今日の時計ビジネスの枠組みを形成しました。

「私が開業したとき、私は品質という基礎を築いていこうと決意しました。私は、人が捧げ得る真の努力をもって可能な限り完璧な製品を作り上げようと、常に全身全霊を注いできました……これは私の創業理念であり、我々はその基礎を築いていくのです」
1世紀半もの間、アメリカの文化、そして世界の時計史とともに歩んできたブローバ。現状を正確に見定め、限界に挑戦し、人々に驚きとよろこびをもたらす革新をこれからも生み続けていきます。